魅惑のメキシコ(1)「古代ピラミッド」を旅する編

 

                      2016年6月

 

Viva Mexico!!

長年の夢だった中米「メキシコ」へ行ってきました!

 

昨年、サロン・デュ・ショコラ・パリで「メタテ」を譲って下さったタバスコ州のカカオ農園へも!

(「メソアメリカ」とカカオ(1)憧れの「メタテとマノ」参照)

 

 

「メキシコ」といえば、悠久の「古代文明」を持つ国ですね。

しかも、ひとつでも素晴らしい古代文明が、綺羅星のごとく存在する国。

 今回旅したのは、メキシコ中央高原周辺〜メキシコ湾岸地域でしたが、本当に素晴らしい感動の連続でした。 

 

33の世界遺産を持つメキシコのほんの一部ですが、素晴らしい遺跡の数々をご紹介しましょう。 

 

 

 

 

 ラ・ベンタ史跡公園 

オルメカ Olmeca文明 紀元前1200年〜紀元前後)

「オルメカ文明」はメキシコ湾岸の「ベラクルス州」から「タバスコ州」にかけて栄えた文明で、「メソアメリカの母なる文明」と呼ばれています。

 

ちなみに、チョコレートの原料である「カカオ豆」を利用する習慣や、マヤ語の「KAKAW(カカウ)」という発音の元も、すでにオルメカ文明から存在していたと言われています。

(残念ながらオルメカ文明においては文字がまだ未熟でしたので、文字としてはっきり解明されているのはマヤ文明からですが)

 

 

メキシコ湾岸の湿地から掘り起こされ、タバスコ州の州都ビジャエルモサの「ラ・ベンタ史跡公園」に移設されているオルメカの石像たち。

これらオルメカの造形物は、素朴なものもあるのですが、一方では非常に哲学的なものを感じさせられる端正なものが多くあります。

 

「巨石人頭像」はオルメカ文明のシンボル的なもの

勝利者の祭壇

空を見上げるサル


 

ジャガーの顔を象って配置されたモザイク状の石

メソアメリカ文明において、ジャガーは猛獣の王、水や豊穣の神として大変崇められたようです。

アステカ文明でも、エリート貴族戦士団である「ジャガーの戦士」が存在していました。

 

ところで、後日古都オアハカを訪れた時のことです。

この地域にあったサポテカ文明では、生まれた日ごとに「守護動物」が決まっているそうで、生年月日を調べてもらったところ「あなたの守護動物はジャガーです」って言われたんですね。

カメとか、ハチドリとか、カメレオンとか、20種類もある守護動物の中で「あなたはジャガー!」って。

 

私はもともと「獅子座」生まれのB型なので、どれだけ強い組み合わせなの!って思ってしまいました。

(う〜ん、リングネームに使えるかもですが・・)

 

 

ラベンタ史跡公園オルメカ文明


  

B.  パレンケ Palenque遺跡

マヤ Maya文明 古典期

チアパス州の北部にある美しい遺跡です。

 

「赤の女王」の石棺のある遺跡(パカル王の母か妻の墳墓)


 

碑銘の神殿(この神殿の中で有名なパカル王の墳墓が発見された)

 

1949年、この神殿で「パカル王(7世紀)の王墓」が奇跡的に「未盗掘な状態」で発見されました。

マヤ研究の歴史上で初めて完全な王墓が発見されたことにより、「マヤのピラミッドは王墓ではない」という長年の定説が覆ったそうです。

(マヤ文明最大の発見)

 

現在、この王墓は立ち入り禁止になっていて、「国立人類学博物館 Museo Nacional de Antropologia(メキシコシティ)の「マヤ室」に復元されています。

 

 

パカル王は、パレンケが最も栄えた時代の王様

12歳で即位し、端正な顔をしていたといわれるパカル王は、王墓で緑色翡翠の美しい仮面を身につけた姿で発見されています。

 

ところで、話は逸れますが、この石棺の蓋に彫られたレリーフの絵柄というのがまた摩訶不思議なものなのです。

どう見ても「メカニックを操っているマシンの操縦者」にしか見えない。

古代人なので本当はありえないことなのですが、「宇宙船を操縦している姿なのではないか」と都市伝説になったり、地下世界からの再生を表現していると言われたりしているようです。

いずれにしても、「この類を見ない圧倒的なパワーは何なんだろう?」と考えさせられるほど素晴らしい造形力です。

 

パレンケ遺跡マヤ文明


 

 

C.  テオティワカン Teotihuacan遺跡

テオティワカン文明」は、紀元前500年〜7世紀くらいまでメキシコ中央高原に存在した巨大都市文明。

最盛期には人口20万人を超えていたという大都市が、なぜ滅びてしまったのかは未だ謎だそうです。

 

 

「月のピラミッド」の上から望む「太陽のピラミッド」一番奥

もちろん、どちらのピラミッドにも登ってみましたが、予想以上に勾配が急で、足を踏み外したら転げ落ちそう。

高地(海抜2200メートル)ということもあり、階段を登るのもなかなかハードです。

 

でも、ピラミッドの頂上から見渡す360度のパノラマは本当に美しい。

はるか遠く山の稜線まで緑の樹々が続き、ここで風に吹かれながら瞑想したら気持ちいいだろうなぁと思いました。

 

 

中央から奥にまっすぐ続く広い通路が「死の道

 

ちなみに、テオティワカンで発掘された遺物は国立人類学博物館(メキシコシティ)」の「テオティワカン室」でも展示保存されています。

 

ケツァルコアトル神殿(復元)

 

テオティワカンの壁画

太陽の円盤

 

チャルチウトリクエ女神 水の女神


 

テオティワカン遺跡


 

  

D.  エル・タヒン El Tajin 遺跡

トトナカ文明 600〜1200年頃)

エル・タヒン遺跡」は、上記の文明に比べるとあまり耳にすることがない遺跡かもしれません。

 

実は、メキシコに来る前、「バニラ」の故郷である「ベラクルス州」のことを調べている時、偶然この遺跡の写真を見つけました。

そして「なぜ、こんな場所にこんなシュールなピラミッドが?」と目が釘付けになってしまったのです。

 

ぜひこの目で見てみたい、そう思ったのがこのピラミッドでした。

 

 

壁龕(へきがん)のピラミッド

 

壁龕(へきがん)」というのは、この枠付きの窓のように見える装飾的な建築物のこと。

ちなみに、このピラミッドには全部で「365」個の壁龕が備えられています。

(太陽暦の1年の日数と一致することから、暦を表しているものと考えられています)

 

しかもこのピラミッド、かつては鮮やかな赤や青に彩色されていたんですって!

現在もわずかに彩色が残っている箇所があるのですが、その昔、まだ色鮮やかだった時代にこの端正なピラミッドを見ることができたら、どんなに美しかっただろうなぁ・・と思いました。

 

 

そして、この遺跡には下の写真のような美しい「球戯場」が17ヶ所も

この「球戯場」では、その昔、神事のためのボールゲームが行なわれていたそうです。

そして、なんとゲームの敗者ではなく、勝者の方が儀式の「生け贄」となっていたそうです。(神の生け贄になることは、当時の人にとっては名誉なことだったのでしょうね)

 

 

エル・タヒン遺跡トトナカ文明


 

 

 

 

ところで、「勇気」といえば、ここ「トトナカ文化」には

有名な「ボラドーレス Voladores」の儀式があります。

 

美しい民族衣装を纏った4人のトトナカの先住民が、ロープ1本で逆さ吊りになりながら、高さ30メートルのポールの頂上からクルクル回りながら降りてきます。

 

豊穣を祈る儀式といわれ、太陽の神を模した鳥人たちは、柱の周りをそれぞれ13回転しながら地上に降りてくるのです。

実は、この13回転✕4人=「52」というのが重要な数字。

 

メソアメリカでは1年を260日とする宗教暦が用いられていました。

1年を365日とする太陽暦が52年ごとに、この宗教歴と1年の始まりの日が重なるということで、「52」という数字は大切な数字とされていたのです。

(太陽暦365日✕52年 = 宗教歴260日✕73年 ですね)

 

私はメキシコに行く前から、ぜひトトナカの「ポラドーレス」を見たいと思っていましたので、由緒ある「エル・タヒン遺跡」でこの儀式に出会えて本当に嬉しく思いました。

 

 

 

今回旅したのは、「メキシコ古代文明」のほんの一部だけでしたが、知れば知るほどもっと知りたくなる国、メキシコは本当に魅力とパワーにあふれる素敵な国でした。

実は「必ずまた行く」と心に誓っています。