チョコレートの歴史を巡る旅(1)           バルセロナの「チョコレート博物館」

 

 

チョコレート博物館  Museu de la Xocolata 

 

バルセロナのチョコレート博物館  Museu de la Xocolata 」は、ゴシック地区(旧市街)のカテドラルやピカソ美術館のすぐ近くにあります。

 

 

なんと、入場券は「板チョコ」です!

 

包装紙に「TIQUET」と印刷されていますね。

(国際学生証を持って行くと、学生割引で入れます)

 

 

 

博物館の中には、チョコレートでできた多数の素敵なオブジェや、カカオ豆やチョコレートの歴史、チョコレート作りに関わる機械類の開発の過程など、チョコレートに関する様々な展示が見学できます。

 

この騎馬戦車もチョコレートのオブジェ

 

 

 

まず、歴史コーナーでは、中米の「マヤ」や「アステカ」など、カカオ豆が通貨として使われていた古い時代から展示が始まります。

 

この石製の器具は、下の湾曲した台が「メタテ metate 」、上に乗っている棒状のものが「マノ mano 」です。

 

この器具は、中米では三千年以上前から使われてきたもので、カカオ豆、トウモロコシ、トウガラシなどのスパイス類をすりつぶす際に使われてきました。

 

 

 

もともと、カカオ豆は中米の「アステカ帝国 Azteca 」からスペインに伝わったものですが、そのきっかけとなったのは、イザベラ女王 Isabel I de Castillaが、1492年のグラナダ開城によりイスラム勢力からイベリア半島を奪還したことです。

つまり、「レコンキスタ Reconquista(キリスト教の国土回復運動)」

を成し遂げたイザベラ女王が、新たなキリスト教の布教活動を目指して、コロンブスのインドへの西回り航路開拓を許可したことから、カカオ豆伝播の数奇な運命が動き始めたのです。



まさに、この1492年という年が、レコンキスタ→新大陸発見→カカオ豆のヨーロッパへの伝播へと繋がる重要なターニングポイントとなりました。

(コロンブスが新大陸を発見し、後に続いたコルテスがアステカ帝国を滅ぼし、カカオ豆がスペインにもたらされたわけです)

 

 

 

ちなみに、「アステカ帝国」では、このメタテとマノを使ってカカオ豆をすりつぶし、水、蜂蜜、トウガラシなどの香辛料を加えて「ショコラトル Xocolatl 」という飲み物が作られ、神にまつわる儀式や祭りなどの際に、ごく限られた人々に飲まれていました。

 

スペインに伝わったショコラトルは、砂糖を加えた甘い魅惑的な飲み物となり、百年もの間、スペインから門外不出とされたのです。

 

 

 

 ロール機

 メランジャー

 

その後、チョコレートドリンクはヨーロッパ各国へ広まり、カカオ豆をすりつぶして加工する機械類が発達し、それが「食べるチョコレート」の発明へと繋がっていきます。

それらの加工に関わる古い機械類が、ところ狭しと展示されているのです。

 

古い機械に興味のある私は興味津々。1台ずつ下からのぞき込んだり、360度からじっくり観察してしまいました。

 

 


 

こんなかわいいセミナー室も

子どもたちのためのチョコレート教室です。

廊下のガラス窓には、心配そうにのぞき込むお父さんお母さんの姿も。

 

 

 

展示室を抜けると

 

ホットチョコレートがいただけるカウンターもあります。ドロリとしたスペイン風の濃厚なお味です。

 

 

 

 

ショップには、おみやげ用のボンボンショコラ、チョコレートの歴史にまつわるオブジェ、アクセサリーなども販売されています。

 

規模はそう大きくはありませんが、カカオ豆がヨーロッパに初めて伝わった国スペインならではの興味深い博物館です。

 

同じゴシック地区には、有名な「ドゥルシネア」や「ラ・パリャレサ」もありますし、チョコレート好きにはお薦めのスポットといえます。

 

 

 

 

 

 

チョコレート博物館

Carrer Comerç, 36
 Barcelona